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【伝説】明石家さんまのテレビデビュー【1976年1月15日】
【伝説】明石家さんまのテレビデビュー【1976年1月15日】
【さんまVS吉本】さんまの名探偵 事件簿【ナムコ】
エムカク著『明石家さんまヒストリー11955~1981「明石家さんま」の誕生』
エムカク著『明石家さんまヒストリー21981~1985生きてるだけで丸もうけ』
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★プロフィール
エムカク(明石家さんま愛好家)
1993年より、明石家さんまさんの番組での発言、関連書籍、関連雑誌などを収集し、日々、明石家さんまさんの年表を作成しております(´ϖ`)
著書「明石家さんまヒストリー」(新潮社)発売中!
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★誰も知らない明石家さんま(日本テレビ)
第1弾~リサーチャーとして参加
https://www.ntv.co.jp/sanma2019/
★桃色つるべ(関西テレビ)
出演:笑福亭鶴瓶、ももいろクローバーZ
ゲスト出演させていただき、鶴瓶さんに公開取材しました(^^)
★伝統河内音頭継承者 河内家菊水丸さんとの対談動画
https://www.youtube.com/watch?v=M2RMzTKNFD8&t=1s
★SNS
Twitter
主に明石家さんまさんについてツイートしています。
Tweets by m_kac
Instagram
https://www.instagram.com/m_kac30/?hl=ja
#お笑い怪獣 #天才漫才師 #歴史
12 comments
やすし師匠の家に連れていかれて競艇のモーターの音テープで聞かされてテスト受けさせられたエピソード好き
礼節に欠けるダウンタウンを悪質な笑いと喝破したやすし師匠は天才だと思います。ただ天才は早く死ぬもんですよ。
やすしさんが亡くなった後、芸能人の葬式にいったとこ見た事ないですよね。。葬式には行かないって、向上委員会の別編の芸人修学旅行での芸人からの質問から、そう答えてましたね。。中村勘三郎さんが亡くなった時も行かなかったし。。笑瓶さんも行かなかった。。
エムカクさんいつも素晴らしい動画をありがとうございます。
これからも息の長い潜水夫のようにさんま師匠のことを語り継いでもらえたら嬉しいです🤗
やすし師匠のことは他の芸人さんも昔から多く語られていますが、スナックで他の客と揉めた時に外に連れ出されて、慌てたさんまさんが後を追うと土下座されていた、というさんまさんの口から語られたエピソードは意外でした。
『すぐ土下座しはるねん、でその後堂々としてる、”横山が頭下げたんや”と思うてはる』
さんま師匠と松本人志の横山やすしさんに対する態度は対照的でした。
三十代までの松本人志は”サニーさん”で桂三枝師匠を、”やすしくん”でやっさんを茶化していましたが、その笑いに愛はありませんでした。
今振り返ると、やすし師匠に酷評されたライト兄弟のネタはひどかった。『親なんか殺したったらええねん』という台詞は、たとえネタであっても悪質な笑いと言われても仕方がなかったように思います。
やすしさんが亡くなる数年前、神戸へ向かう電車に乗ってた時
大きな声で話す老人が居るなと思い立ってよく見ると一人で乗られてるやすしさんでした
俺はやすしやぞ!感じの独り言を話せれていました。
その頃50歳前後のはずですが70過ぎてる老人に見えました。
動画ありがとうございます!
ビートたけしはやすしが亡くなった直後に近代漫才の完成形はやすし・きよしだったと言ってましたね。
全盛期は無双状態だったと言ってました。
さんまが破天荒な横山やすしを芸人としてリスペクトしていたのが伝わります。
やすし師匠が亡くなった後、本葬に借金取りが何人も来て家族は戦々恐々すると借金取り達は、香典代わりだと言って借金帳消ししてくれた。よほどやすし師匠は、いい人から借金したみたい。
幼少期に『なるほど・ザ・ワールド』の(パロディコント?の)司会をさんまさん扮するやすし師匠がやるシーンを見た覚えがあるのですが、動画中の『ものまね王座』だったでしょうか?『ひょうきん族』かと思っていたのですが…
太平サブローさんは「漫才師:横山やすしのものまね」でさんまさんは「タレント:横山やすしと人間:木村雄二のものまね」なのかなと思います。
「儲け使い」「狂ってる」で脳裏に霜降り明星の粗品さんが浮かびました(笑)居たで!!令和にも!!
女性の好み、ぽっちゃり好きなのも共通点。
さんまさんは破天荒な芸人が大好きですよね。月亭可朝師匠や中田ボタン師匠とのカラミも楽しそうにやられてましたね。
動画ありがとうございます!
エムカクさんの動画で、さんまさんのことを深く知ることが出来て、本当に嬉しいです(*^-^*)