運航会社の桂田社長が経営していた宿泊施設で働く男性は、事故のあと、仕事を辞めることも考えました。
しかし、男性を知床につなぎ止めるのは「被害者家族の存在」だといいます。
斜里町ウトロに住む杉浦 登市さん(61)。
事故を起こした運航会社「知床遊覧船」の桂田社長が経営していた宿泊施設で、4年前から働いています。
杉浦 登市さん:「毎月23日には献花をさせてもらっています。亡くなった方のご冥福を祈りながら、見つかっていない方が早く見つからないかなと」
1年前のあの日、杉浦さんが働く施設は全国から駆け付けた被害者家族の宿泊場所になりました。
杉浦さんは家族の送迎や案内などに追われました。
杉浦 登市さん:「情報がありすぎて整理がつかなかった。自分はこれからどうしたらいいんだろう。会社はどうなるんだろう。被害者家族の方はどうなるんだろうと思っているだけで、何も結論が出ないうちに、時間が過ぎたような気がします」
その後、運航会社のずさんな実態が次々と明らかになっていきますが、桂田社長から詳しい説明はなかったといいます。
杉浦さんは単身赴任。家族は札幌に住んでいます。
事故のあと、仕事を辞めて知床から離れようと考えたこともありましたが、気がかりだったのは被害者家族のことでした。
杉浦 登市さん:「『私、まだ4月23日から時間が進まないです』と(家族から)話をいただいたときに、本当にかける言葉がなかった。どうしたらいいんだろうという気持ちが強かった。(家族が)置き去りにされているような気がします」
その後も被害者家族と交流を重ねてきた杉浦さん。
毎月、斜里町役場の献花を写真に撮って送ったり、家族が知床に来たときには送迎をしています。
杉浦 登市さん:「少しでも乗船者家族のために何かをしたいと思っているので、まずは献花することと、こちらの情報を少しでも送れたら」
会社はどうなるのか、自分自身はどうしたらいいのか。
1年経った今も答えは出ていません。
杉浦 登市さん:「これからどうなるかっていうのは本当に想像がつかないですが、残されたご家族がこれからどうしていくかというところで、お手伝いできることがあるのではないかなと思っています。知床が好きなのでここにいたい。自分がいる価値があるかどうか、見極めていかなければいけないのかな」
4月23日には事故が発生した午後1時ごろ、花を供えるつもりです。
3 comments
この人はいい人やな
桂田社長と違うな(*´ω`*)
その時、考えるのは会社は潰れるって思わないと。またやっても困るよ。
一つでも悩み事は早く解決しないと。周りの業界の人達にもえれ~迷惑かけてさ。
私も早く遊覧船の行方不明人早く見つかりますように御祈りさせて頂きております早く見つかると良いですね