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モノマネ【竹中直人】|残しておきたい昭和の演芸

by MOEPPP



「竹中直人」の顔芸をお楽しみください。

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残しておきたい昭和の演芸をたくさん投稿していきますのでチェックしてね
https://www.youtube.com/@Showa-OWarai

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竹中直人(1956年3月20日)
妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。
 
神奈川県横浜市金沢区富岡にて、横浜市役所に勤務する地方公務員夫妻の一人息子として誕生する。
幼少期は家で一人遊びすることを好む内気な性格であったが、両親と共にしばしば映画鑑賞に足を運んでいたことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになる。横浜市立富岡小学校後、関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まるようになる。関東学院六浦高等学校在籍時より自作で映画を撮るようになり、映画業界を本格的に志望するようになる。しかし、高校卒業前後に母親が肺結核により54歳で死去したため、父子家庭となった。
2浪して1976年に多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻に入学。大学在学中は「映像演出研究会」に所属。8ミリ映画の制作に没頭し、監督から出演までこなす。この時に地蔵が首を振って笑う「首振り地蔵の怪」という短編映画を撮影したが、皆に作品を馬鹿にされたため、「(笑いながら)ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と言ったところ大爆笑となったことが、のちに40年以上続く十八番ネタ“笑いながら怒る人”の起源となる。
大学在学中の1977年、『ぎんざNOW!』(TBS)の「素人コメディアン道場」で第18代チャンピオンに輝く。その後、『TVジョッキー』(日本テレビ系)の素人参加コーナーにてモノマネ芸でチャンピオンとなり注目される。
また大学生時代、在学していた大学がテレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』のロケの舞台になっていた関係で、同作の撮影の合間に井上純一ら生徒役の出演者の前に出て来てよくものまね芸を披露していたこともあった。
大学在学中に自主映画の製作に携わったことで俳優を志し、1980年に卒業後、「洋モノ」をやらないとの理由で劇団青年座に入団する。
 
俳優だけでは一生食べていけないと感じ始めていた折にプロダクション人力舎の玉川善治から声を掛けられて、1983年、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」に出演してグランドチャンピオンになり、デビュー。普段は辛口な評論をする司会の横山やすしから絶賛され、その後バラエティ番組に多数出演する。1985年にはシティーボーイズ、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇/コントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(RGS)を結成。
『東京イエローページ』(1989年-1990年)、『竹中直人の恋のバカンス』(1994年-1995年)、『デカメロン』(1997年)など、竹中を中心としたコント番組も放映されている。
 
映画やテレビドラマも当初は脇役での奇矯な演技が多かった(『痴漢電車・下着検札』〈1984年〉準主演では、全演技を得意の松本清張と松田優作の物真似で通している)が、次第にシリアスな小市民、悪役などへも役柄を広げていった。
劇団青年座を1990年に退団後、劇作家の岩松了と舞台「竹中直人の会」を開始、2002年までほぼ一年に一度のペースで公演を行う。
1996年、NHK大河ドラマ『秀吉』で主演の豊臣秀吉役に抜擢され、平均視聴率30.5%、最高視聴率37.4%の高視聴率を記録するヒット作となった。その後、『熊本物語』(2002年)、テレビ朝日テレビドラマ『敵は本能寺にあり』(2007年12月放送)、18年後のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』(2014年放送)、ゲーム『仁王2』と5度にわたって秀吉を演じている。
1999年、従来から形態模写の対象としていた遠藤周作を主人公としたTBSドラマ『夫の宿題』(遠藤夫人の回顧録が原作)に遠藤周作役で出演。
ドラマでは外国人の役を演じることもある(『神の雫』、『のだめカンタービレ』など)。
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