#どうする家康 #瀬名奪還作戦 #忍者 現時点で、駿府に残っている人質が竹千代(のちの松平信康)だけという説。有力かと思います。
どうする家康 (5)瀬名奪還作戦
[総合] 2月5日(日) 午後8:00 ~ 8:45(予定) ほか
松平元康(松本潤)は、駿府に捕らえられている瀬名(有村架純)を取り戻そうと決意。家臣たちの反対を押し切り、イカサマ師と呼ばれ嫌われている本多正信(松山ケンイチ)の妙案に望みを託す。正信は、伊賀忍者の服部一党を使い奪還作戦を立てるが、頭領の服部半蔵(山田孝之)は過去の失敗ですっかり自信を失っていて・・・。
出演 松本潤,有村架純,大森南朋,山田裕貴,音尾琢真,小手伸也,岡部大,波岡一喜,イッセー尾形,リリー・フランキー,千葉哲也,溝端淳平,野間口徹,関水渚,豊嶋花,川畑和雄,川口和空,松嶋菜々子,松山ケンイチ,山田孝之,渡部篤郎,真矢ミキ,松重豊
語り 寺島しのぶ
作 古沢良太
柴裕之著『青年家康』、読了。
第5回で出てきた台詞、補足しましょう。
父も、祖父も、と石川数正が、たしなめたシーン。
[略年表]
天文4年 12月5日 元康の祖父・松平清康、重臣・阿部大蔵の子・阿部弥七郎に殺害され、死去。守山崩れ。『松平記』『松平氏由緒書』
天文16年9月2日 今川義元朱印状写。父・松平広忠、今川義元に降伏していた。
天文16年9月 田原城(たはらじょう)の戦い。戸田宗光の嫡男・戸田堯光(たかみつ)が今川軍に善戦『記録御用所本古文書 キロク ゴヨウショボン コモンジョ』。今川軍、敗退。
天文18年3月6日 元康の父・松平広忠、死去。(前年に家臣・岩松八弥(いわまつ はちや)に受けた刺し傷が原因か?『松平氏由緒書』)
天文18年7月 今川義元、渥美郡で所領給与と検地。太平寺に寺領確認の目録。この頃までに、戸田尭光(たかみつ)が敗れ、田原城落城。田原戸田氏、没落。
天文18年11月22日 竹千代は駿河に到着。駿府浅間社前の屋敷で松平家の幼少の当主として庇護。
元禄3年5月19日 桶狭間の戦い。今川義元、討ち死に。
元禄3年5月23日 元康、岡崎城に入城『三河物語』『松平記』
元禄3年6月4日 元康の長女・亀姫、駿府で誕生。
『当代記』元康、岡崎、帰還に伴い、正室・築山殿と長女・亀姫が岡崎に移る。駿府に嫡男・竹千代(のちの松平信康)、人質として残る。
桶狭間の戦いののち、駿府に戻らなかった元康。元康による岡崎領の経営に、今川氏真の承認があった、ということになろうかと思います。
永禄3年8月 越後の長尾景虎、関東侵攻のため、出陣。
永禄4年2月頃 元康、信長と起請文、和睦。仲介役、伯父・水野信元。
永禄4年4月11日 元康、牛久保城(牧野成定)、攻撃。牛久保城攻撃受け、氏真、「松平蔵人逆心」と認識。「牧野文書」