武田信玄』(たけだしんげん)は、1988年1月10日から12月18日まで放送されたNHK大河ドラマ第26作。主演は中井貴一。
大河ドラマにおける昭和の内に最終回を迎えた最後の作品となった。
作品内容と特徴
甲斐の戦国大名である武田信玄(晴信)が主人公。原作は新田次郎の歴史小説の『武田信玄』と『武田三代』。新田次郎小説の大河ドラマ化はこれが初めて。脚本家は田向正健が担当した。前年の『独眼竜政宗』に続いて戦国時代を扱った作品である。武田信玄が主要登場人物として登場する大河ドラマには、上杉謙信を主人公にした1969年の『天と地と』、武田家の「軍師」とされる山本勘助を主人公にした2007年の『風林火山』がある。
初回視聴率42.5%、最高視聴率49.2%、平均視聴率39.2%[1]。前年の『独眼竜政宗』と僅か0.5%差で史上2位の平均視聴率で、あわせて大河ドラマ史の絶頂期を形作った。
本作は、信玄の母・大井夫人(若尾文子)が“息子が後世で誤解されていることが多いため、我が子の名誉のために真実を物語る”という体裁をとっている。そのため、本編のナレーションも若尾が兼任。最終回および一部の回を除いて、各回とも大井夫人の「今宵はここまでに致しとうござりまする」というセリフによって締めくくられ、この年の流行語大賞に選ばれた。本編では大井夫人が死去した時には半透明のカメラワークで魂となって我が子晴信を見守るという演出が行われ、それ以降もナレーションは若尾が担当。
主演を務めた中井は本作が大河ドラマ初出演。当初、信玄役には松平健が予定されており[2]、また役所広司も候補に挙がっていた。中井はもともと上杉謙信役としてオファーを受けていたため[3]、主役に抜擢されたことに驚いたこと及び前年の『独眼竜政宗』の大成功からくるプレッシャーの大きさ、自分の顔が従来の信玄の肖像画とは大きく違うことなどに戸惑いを感じたことを当時の思い出として語っている。また、本作で信玄を演じてからは武田信玄について聞かれると自分のことのように思えるとも語っている[4]。当時、中井と脚本の田向正健の間では大きな葛藤があり、中井は「演技を否定されるのならば自分の努力でなんとかやりようもあるが、人間的に否定されるようなところがあって、撮影中ずっと悩み続けた」と語っている。中井にとってとても試練の多い1年3か月であったという[5]。中井はその後、田向が死去する2010年まで彼のドラマに出演することはなかった。
比較的早期にクランクアップとなった板垣信方役の菅原文太は中井に「今日から俺は視聴者として『武田信玄』の一番のファンになる。これはお前の番組だ。どんなわがままをいってもいいんだ。撮影には来ないけれど、ファンとして俺が見てるってこと忘れないでくれ」とエールを送っている。中井はそんな菅原をはじめとする諸先輩が自分を盛り立ててくれたことに非常に感謝している[5]。
本作ではオープニングや合戦シーンで多数の騎馬武者が登場し、迫力あるシーンを作り上げている。劇中に何度か登場する武田騎馬隊の隊列は馬70頭を集め撮影された。本作のため、舞台の山梨県では小淵沢町(現北杜市)にオープンセットが建設されるほどの力の入れようだった。騎馬シーンについては小淵沢町にある乗馬クラブ、山梨県馬術連盟が全面協力。ただし馬を過度に酷使する撮影手法には馬の専門家から否定的な見方もあったようで、『太平記』で乗馬指導にあたることになった日馬伸は、足利市からオファーをもらった当初、自分は馬の立場から物を考える人間であり、『武田信玄』のように馬の酷使をするような仕事には乗り気でなかった、と述べている[6]。
最初にタイトル文字を担当した海老原哲弥の受賞経歴の詐称問題により、NHKアート出身の書家である渡辺裕英(ゆうえい)が作成したものに変更されたため、第3回までと第4回以降では違うものが使用されている[7]。
本編前にはアバンタイトルがあった。時には俳優やスタッフのインタビューなど本編と関係の無い内容もあり、中でも音楽を担当した作曲家山本直純のインタビューが取り上げられた回には、山本が起用した秦琴奏者の深草アキを紹介しながら、「テーマM1(オープニングの主題曲のこと)!」とカメラに向かって声をかけてオープニングタイトルが表示される異色の演出も見られた(第10回)[8]。
登場人物