米国撮影の満洲の解説と風景(日本語字幕)。戦前の満州の概要や雰囲気が分かります。1937年。
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【内容】
・満州の高級なメリノ種の「羊毛業」
・満洲経済の主力産業だった「満州大豆」
→大豆は、「大豆、豆粕、豆油」に分けられ、食用、油脂、飼料、肥料など多用途に使われる。
日本が品種改良、新種開発を行い、当時、満洲の大豆生産量、輸出量は世界一で、大きな収入源になった。
☆清国で大豆を生産・搾油して、日本に輸入したから「日清オイリオ」(現在サラダ油で業界1位)。
☆三井物産の山本条太郎(じょうたろう)が欧州に渡り、満州大豆とその活用法を宣伝した。
・大連港・・当時の大連は無税だったため、世界中のあらゆる舶来品が安く手に入った。
・大連ヤマトホテル(現:大連賓館)
・大連のレジャー施設「星ヶ浦リゾート」(今は閉業)
→海水浴場、泥温泉の他、星ヶ浦ホテル周辺に大庭園、テニスコート、ゴルフリンクスが併設された。
→現在は、大連の星海公園になっている。
・小中学の様子
・ハルビンの様子
→満州の鉄道路線図は「T」の形。ヨコ棒が東清(とうしん)鉄道、タテ棒が南満州鉄道(満鉄)。交差点にある都市がハルビン。
→満鉄は、旅客よりも満州の資源輸送、兵隊の移送としても重要だった。
・技術者を育成した”旅順工科大学”(今も現存)
・南満州鉄道株式会社経営の”撫順(ぶじゅん)炭鉱”
→世界でも珍しい露天掘り
・鞍山(あんざん)の鉄鉱石
・鴨緑江(おうりょくこう)上流の、「シベリア馬を使った林業」(住宅、馬車の材料など)
→鴨緑江の良質で豊かな林業は日露戦争の原因にもなった。
・鴨緑江(おうりょくこう)の巨大な回転跳ね橋
→船の通過時に橋が90度回転する。日本が造った最新鋭の鉄橋。
→戦後の朝鮮戦争で部分的に破壊されている。
【豆知識】
・基本的に、都市部のインフラ設備は日本よりも満州のほうが進んでいた。そのため、豊かな生活を送っていた満州の都会に住んでいた人は日本に来て、みすぼらしいと感じた人も多かった。
※一方で、開拓団として満州に日本から渡って来た農民は、行政から現地の中国人農業者を立ち退かせた土地を与えられていたため、恨みを買い、また、慣れない環境での農業自体も難しく淋しい生活だった。
・当時の満州には、
湯崗子(とうこうし), 熊岳城(ゆうかくじょう),五龍背(ごりゅうはい)の「満洲三大温泉」と称された温泉があった。そのため、日本式の温泉旅館や温泉ホテルも経営され,多くの日本人が大連経由の観光で訪れた。
・当時、釜山から新京(今の長春)までの特急列車の名前は、「ひかり」と「のぞみ」。
【満州と朝鮮にあった五大百貨店】
三中井(みなかい)
丁子屋(ちょうじや)
平田(ひらた)
三越(みつこし)
和信(わしん)
※吉順絲房(きちじゅんしぼう)→新京(今の長春)にあった百貨店
※七福屋百貨店・満蒙百貨店→奉天(今の瀋陽)にあった百貨店
【満州出身の有名人】
赤塚不二夫
坂東英二
草野仁
加藤登紀子
浅丘ルリ子
小澤征爾
梅宮辰夫
松島トモ子
宮尾ススム
ジェームス三木
なかにし礼
山口淑子(李香蘭)・・撫順生まれ、奉天育ちのトップスター
(三船敏郎) ・・青島(チンタオ)生まれ、大連に住んでいた。
(森繁 久彌)・・NHKアナウンサーとして新京で働いていた。
3 comments
この頃はまだ欧米も満州を好意的に見ているように感じますね。
満州国設立前なんですか?
1906年から1930年の24年間に凄まじい発展をしている。
ありがとうございます!
勉強になります。知らない歴史が沢山有ります。