18
今回は石田三成について
今回は石田三成について
天下分け目の合戦として有名な「関ケ原の戦い」
この戦いにおいて、徳川家康と共に有名な人物と言えば
石田三成を思い浮かべる人も少なくはないと思います。
秀吉の天下統一事業を支えながら
側近として豊臣政権下で台頭した三成
真面目で有能なんだけど、
人の心が読めず多くの敵を作ってしまった事で
のちに関ケ原の戦いでは
豊臣恩顧の武将が家康に味方する事になってしまい
西軍が敗れてしまうきっかけを作ってしまったとも言われる三成
だけど、はたして関ケ原の戦いの西軍の敗北は三成の責任だったのか?
そもそも三成が西軍でどのような立ち位置だったのか?
そして一体なぜ秀吉の下で出世できたのか?
ということで
今回は石田三成の生涯などを簡単に解説しようと思います。
登場する人名などに関して、立場などによって変わったりしていますが
今回はわかりやすくするために変化なく紹介している場合もあります
あくまで歴史上の人物の心境や、それぞれの思惑などは
投稿者自身の解釈や考察が含まれているという事と
また、逸話や説などはあくまで説として、事実とは限りませんので広い心でお願いいたします!
もし「ここ間違えてるよ」ってところがあれば優しくコメント欄へ
修正があった場合は概要欄に追記させていただきます!
また動画制作の励みになるので、ぜひ高評価ボタン
チャンネル登録よろしくお願いいたします!
【参考サイト】
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
【BGM】
甘茶の音楽工房
【画像】
京都フリー写真素材集 https://photo53.com/
#ゆっくり解説 #戦国時代 #日本史
7 comments
義の人ではないと思う。
柿の話は逆に情けなく感じたよ(笑)
石田三成や会計を任されてる人にとったらAとB、両方とも作戦達成率90%なら当然同額の報酬になると
それが公平だと
でも実際に戦ってる武将にしたら『あの山城を落とすのとこの平城を落とすのとで評価同じなのは納得いかんわ!こっちの味方がどれだけ死んだと思ってるのよ!難易度全然違うでしょ!』って不満が出るのは当然
秀吉なら上手いこと不満を抑える事が出来ただろうけど、杓子定規な石田三成に言われたところで『石田風情が…!』となるのは必然ですな
数字の上では正しいから根回しとかその後のフォローとか必要無いとか思ってそう
他の話しでは関ヶ原の負けを一人で背負ったから他の武将は
お咎め無しになったとも聞いてます
頭はいいが根回しが下手過ぎたイメージですね。きっちりする人だから付いてくる人は付いてくるけど、嫌われる人からはとことん嫌われてしまった印象です
「有能な働き者は参謀にせよ」を地で行く人ですね。
優秀で小回りも効くのでトップを支えるポジションにピッタリです。
多くの人は彼ほど有能でも働き者でもないので恨みを買いがちですが、それすらもトップに対するガードとして機能します。
しかし、こういうタイプの人が命令する立場になると、えてして付いていけない人が大量発生してしまい、より柔軟な人物に先を越されてしまいます。
中国の項羽と劉邦が典型です。
逆に言えば、豊臣秀頼を本気で支持している側に人材が足りなかったということでしょう。
こんなやつ同期でいたらマジで嫌うだろ。