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数々のヒット作を世に送りこんできた現役映画プロデューサー・酒匂暢彦が、新作旧作を問わず映画及び映画業界の表側裏側を語る映画チャンネルです。
映画をただ鑑賞するだけでなく、監督の制作意図や演出方法、俳優の演技などのクリエイティブ面へ興味関心のある人に対する情報をお届けします。
ナビゲーター:酒匂暢彦<株式会社CHANCE iN 代表取締役>
1984年、日本ビクター株式会社(JVC)入社。1997年、株式会社クロックワークスを設立し、同社代表取締役に就任。 同社で数多くの映画を配給し、02年『少林サッカー』では28億円の興収を記録、09年『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』では興収40億円の成績を上げる。2010年、株式会社 チャンス イン を設立。他の主な配給作品は『CUBE』(98)『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)『マッハ!』(04)『スーパーサイズ・ミー』(04)『THE JUON/呪怨』(05)『運命じゃない人』(05)『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序』(07)『ヒトラーの贋札』(08)『アフタースクール』(08)『チェイサー』(09)『ファッションが教えてくれること』(09)近年のプロデュース作品は、『窮鼠はチーズの夢をみる』(20)
<ゲスト:映画宣伝プロデューサー竹内 伸治>
石油会社を経て、1988年4月に株式会社シネマテン入社、同年9月株式会社アスミックに出向、翌89年6月同社に正式入社。当初はレンタルビデオ用の本編映像制作、宣伝材料制作などを担当。16mm文化映画の制作担当、レンタルビデオ営業なども追加され、アスミックの劇場配給進出に伴い、配給宣伝、配給営業、字幕制作、宣伝材料制作、買付などをすべて同時期に担当していたこともある。
16mm映画製作窓口としては大澤豊監督作『さようならカバくん』(89)などを担当。宣伝プロデューサーとして、『ツルモク独身寮』(91/今関あきよし)、『ボブ・ロバーツ』(92/ティム・ロビンス)、『キリング・ゾーイ』(94/ロジャー・エイヴァリー)、『ユージュアル・サスペクツ』(95/ブライアン・シンガー)、『ファーゴ』(96/ジョエル・コーエン)、『八日目』(96/ジャコ・ヴァン・ドルマル)、『日蔭のふたり』(96/マイケル・ウィンターボトム)、『スクリーム』(96/ウェス・クレイヴン)、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(96/ウディ・アレン)、『スリング・ブレイド』(96/ビリー・ボブ・ソーントン)などを担当。
98年4月に株式会社アスミックとエース ピクチャーズ株式会社が合併、アスミック・エース エンタテインメント株式会社となる。映画宣伝グループ グループリーダー、宣伝部長、取締役宣伝部長、執行役員宣伝担当、常務執行役員映画宣伝グループ/映画製作グループ/大阪営業所担当などを歴任、09年12月31日付で同社を退社。最後の役職はエグゼクティブプロデューサー。
アスミック・エースでの宣伝プロデュース作品に『ビッグ・リボウスキ』(98/ジョエル・コーエン)、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)、『雨あがる』(99/小泉堯史)、『ショコラ』(00/ラッセ・ハルストレム)、『ターン』(00/平山秀幸)などがあり、最後の宣伝プロデュース作品は外国映画『めぐりあう時間たち』(02/スティーヴン・ダルドリー)、日本映画『ジョゼと虎と魚たち』(03/犬童一心)。宣伝監修、宣伝統括としては、『阿弥陀堂だより』(02/小泉堯史)、『ホテル ビーナス』(04/タカハタ秀太)、『間宮兄弟』(06/森田芳光)、『アーサーとミニモイの不思議な国』(07/リュック・ベッソン)、『ソウ』シリーズ(04-11)などを担当。04年からはドリームワークス作品配給に従事、05年から日本公開が始まり、『シャーク・テイル』(04/ビボ・バージェロン、ヴィッキー・ジェンスン、ロブ・レターマン)、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(05/ブラッド・シルヴァーストーン)、『マダガスカル』(05/エリック・ダーネル、トム・マクグラス)、『ミュンヘン』(06/スティーヴン・スピルバーグ)、『森のリトル・ギャング』(06/ティム・ジョンスン、ケアリィ・カークパトリック)などの統括を手掛ける。08年にはプロデューサーとして、森田芳光監督作品『わたし出すわ』を初めて担当、翌09年に完成し公開した。
アスミック・エース退社後の10年、11年はフリーで、アスミック・エース配給『ソウ ザ・ファイナル3D』(11/ケヴィン・グルタート)、セテラ・インターナショナル配給『あしたのパスタはアルデンテ』(11/フェルザン・オズペテク)の宣伝監修を担当。
11年10月1日付で、株式会社スターサンズ執行役員映画事業担当に就任。ヴェルナー・ヘルツォーク監督作『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』(10)、パオロ・ソレンティーノ監督作『きっと ここが帰る場所』(11)、ヤン・ヨンヒ監督作『かぞくのくに』(12)の宣伝プロデュースを担当し、翌12年同社を退社。13年1月劇場公開した、パオロ&・ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟監督作『塀の中のジュリアス・シーザー』をフリーランスの宣伝プロデューサーとして担当した。
また、04年にはペンネームで夕刊フジの映画コラム「スクリーンの裏側から愛をこめて」を4月から9月までの半年間に亘って連載、映画コメンテーターとしてBSフジ「映画大王」(00-01)、TX「ミューズの晩餐」(10-11)などに出演している。
#winny #映画 #レビュー #東出昌大 #三浦貴大 #皆川猿時 #和田正人 #木竜麻生 #池田大 #金子大地 #阿部進之介 #渋川清彦 #田村泰二郎
36 comments
私も面白く鑑賞しましたが、竹内さんのおっしゃるようにモヤモヤ感がありました。
・検察が起訴を急いだ理由
・愛媛県警裏金問題との関係
この2点の解を教えて欲しかったです。二つとも送り手側から持ち出しておいて、解がなく放り出された感じがしました。
金子氏が中学生の頃、電気屋の店頭にあるPC8001で書いていたBASICのプログラムはでたらめではなく、星の瞬きをディスプレイに描くものだと思います。
わかります、劇場によって明るさが違いますよね 取り調べのシーンが暗いなーと思ったら全体的に暗い劇場かなと
複数館でみたので、そう思います😅
すごく面白かったです。技術は素晴らしいけど、社会への適合性に欠ける主人公を東出昌大が好演していましたね。法廷の証言台で、「ちょっとアイデアが浮かびました」とプログラムをタイプするシーンがとても良かった。自分は技術系の人間なので、技術が弾圧される状況を通じて、逆説的に技術のもつ可能性を感じました。愛媛県警のくだりは、(もう少し本筋の件と絡むのかなと思い期待していたのですが、、、)Winnyの使用により結果として悪いことも良いことも起こりうるからWinny自体が悪いわけではないということを補強してるのかなと思いました。
ネットネイティブじゃない世代の議論が白熱しそうな題材だな〜。と思ったらめっちゃ白熱しててウケた。
だん弁護士が実際に言ったのはナイフではなく高速道路だそうです(インタビューで本人が言ってました)
先ずは、エンタメ作品としてとても面白かったですし、これで良いと思いました。
で、竹内さんが動画内で「なぜ権力(警察)が訴えたのかが最後まで分からない、そこをなんで描かなかったのか?」と疑問を呈されておられましたが、私が思ったのは、監督がこの映画で描きたかったのはシンプルにピュアな世間知らずの天才が不条理に巻き込まれる悲劇であって、決して権力の闇やら社会正義的なものではなかったからだと。そして再三酒匂さんがWinnyのソフト自体の危うさみたいなことをご指摘されていて、それはまさにそうだと思うのですが、「Winnyはこんな良いところもあるんだよ」と好意的な印象を観客に与えるために、サブプロットとして愛媛県警のエピソードがあるのだと思いました。
ちなみに松本監督の前作「ぜんぶ、ボクのせい」は、どうしても「可哀想感」を出すためにご都合主義なところが気になって、大変失望した記憶があるのですが、この作品では脚本の上手さでそんなことをあまり感じさせなかったのも良かったところでした。
(もし藤井道人監督がこの題材で撮っていたら、竹内さんが物足りなく思われたところもキッチリ描いていたでしょうが、逆に映画のノイズになっていたかもと愚考しています)
つまりこの映画は深いところを描くつもりは全くなく、純粋にエンタメとして楽しんでください、といういい意味で「浅い」作品なのかなと思います。
それを踏まえたうえで、東出昌大さんの、世間的に無知なピュアな技術者の演技は実に巧みだと思いましたし、やはり素晴らしい役者さんだと改めて思いました。
閑話休題。そんな東出昌大さんの映画で見逃していた「天上の花」を昨日見たのですが、これまた見事なクズ男を演じられていて、彼特有の得体のしれない存在感と相まって、まるでホラーでした。昨年の映画であまり評価することを伺いませんが傑作でした。
自分は企業向けのシステム・エンジニアをやって来て、東出昌大演ずる金子さんとは立場も心構えもまったく違うとも言えるけど、プログラマーの端くれとしてはあの振る舞いはわかりますね。打ち合わせで技術論になったときに、主旨から外れて来てもつい夢中で議論しちゃう感じ。でもそれが楽しいんだよねぇ😅
で、そんな私は酒匂さんとは立場が違うので、悪用したと言われ極悪人扱いされてたあの二人、彼らも金儲けしたわけじゃないのでは?金を惜しんだかもしれないけど。詳しく描かれてはなかったけど、昔レコードの貸し借りで録音してたのと変わらないんじゃないだろうか?それが友達の範囲なら黙認するけど、日本中、あるいは世界中に拡がるとなると途端に極悪犯罪扱いとする、この流れには少し抵抗感ありましたね。
もちろん法律上は罪かもしれないし、明らかな悪意は駆逐するのはわかるけど、技術の発展によって出来ちゃった抜け穴を、渋川清彦演ずる検察官みたいに「我々は法治国家の国民ですから」でバッサリ切り捨てていい話なんだろうか?そもそもそれで守られるのは誰なのか、少なくとも文化を産み出す側ではないんじゃないか?
どうせなら、そこんとこまで踏み込んで欲しかったけど、でもそうすると時間が足りなくなるのかな?😅
『Winny』観てきました
もちろん実話なのは承知の上で
〝当て書き?〟と思えるほど東出昌大にピッタリの役で冒頭シーンから😂引き込まれました。
正直、あまり期待せずに鑑賞したので自分でも驚きました。
そして吹越満の演技
ぱっと見似たような衣装のスーツ姿ですがご本人の洒落っ気を全面に打ち出したスペシャル感が素敵です
もちろん演技も楽しんで演じている様が観客席にも伝わってきて最高でした。
こういう思いがけない出会いがあるので映画って素敵ですし
シネマサロンのお三方に感謝致します😂
私も吹越満が演じる弁護士が言った「不思議なのは警察が原告なこと」と「そこを明かしましょう」って言ってたのに、そこを明らかにしなかったのは不思議ですが、権力側のやり口として理由も言わずに懲罰を与える事でされた方は「あれが不味かったのかな?それともあれが?」と推測する事で非権力側を萎縮させる事があるので、それが目的なのかなーと思いました。一方で警察権力のわかりやすい圧力として愛媛県警が対比として出されてたのかなと。
最近はクソ男役での名演が目立つ三浦貴大さんの『良い役』が上手かったですね。なぜ検察が立件したか竹内さんは腑に落ちなかったと仰っていましたが、前近代的で世界的に悪名高い日本の刑事司法制度をいささか買いかぶっておられるのでは? 担当検事の功名心や見せしめ目的での立件は見ていて全く違和感ありませんでした。よく言われるように、有罪率が99.9%の日本の刑事裁判をもってすれば、検察は立件さえすれば勝てると本気で思っていたのではないでしょうか(実際に一審では有罪判決でしたし)。私がこの映画から感じたのは、Winnyが普及した当時、したり顔で開発者を非難していたマスコミや大衆の無責任さです(当時、金子氏を擁護していたマスコミは少数派だったと記憶しています)。「世論」を味方につけた国家権力が如何に恐ろしいかや冷静に自分自身で考えることの大切さがこの映画のテーマと受け取りました。本筋と併行して描かれる警察内での汚職は、権力側の組織でありながら、働いている警察官ひとりひとりは周りに流される一般大衆と変わらぬ点が上手い演出だと思いました。
金子さんの足元にも及ばないですが、プログラマーの端くれとして楽しみにしてました。
ああいう天才プログラマーって、身近にもいて高校の同級生で凄い人(雑誌に作った自作ソフトが載ったりしていた)がいたので懐かしくなりました。
彼らは思いついたら作らずにいられないんですよね。
で、作ったら更に完成度を上げるために多くの人に使ってもらってフィードバックを貰いたい。
PCの授業中に授業ほったらかしで自作のネットゲームをクラスメイトに配って遊ばせたりしてたなあ。
だから悪用されてどうなるとかの想像より先に、そういう気持ちが先走ってるんですよね、
素直に、ものづくりを志す若者の背中を押してくれる良い映画だと受け取りました。
私は知人に金子勇さん(本物)みたいな性格のプログラマーが居て、まさに話し方とか目線とかあんな感じなのですごく共感できました。東出昌大さんの演技や仕草はエンタメ作品として可愛くアレンジされていたと感じますが、より多くの人に楽しんでもらうためには最適な塩梅だったと思います。加えて、私は正直いまだに東出昌大さんの不名誉なパブリックイメージを引きずっている(それで怒りを覚えることは無いけど;やっちゃいけないと分かってるはずなのにやってしまった人だよねという印象は残る)のですが、だからこそ本作では金子役にリアリティを感じて、いっそう没入できました。
脚本面で一点だけ不満なのは、判決直後からの流れがやや端折りすぎだと思いました。一審判決が罰金刑のみだったことに対する金子側と検察側の認識、さらには世間やネット住民の反応などを描いてほしかったのと、続く高裁判決と上告却下になった流れはもう少し詳しく描いてほしいと思いました。…まあ興味を持った人達は各自で調べるから不要かもしれませんけど(笑)
ポスターに「無罪を勝ち取った7年の道のり」と書かれてる割に、一審判決以降が完全にバッサリだったのが残念でした。
結局は検察の立件に無理があって、そこを描いても内容的に薄くなるとの判断だったのかもしれませんが、唐突に終わった感がありました。
エンドロールで本人映像が出て来たのがとても良かったです。
ネット上のパンドラの箱を開けたソフト・・・
(ネタバレあり)
2002年にネット上に公開されたWinnyは、映画・音楽・ゲームなどの著作物を違法にやり取りするのに使用され、多額の被害の発生が報告された。やがて、違法アップロードしたWinny利用者が逮捕され、次いで、Winny開発者も幇助の疑いで逮捕されることになった。
本作は、Winnyの開発および開発者の逮捕の時点から、一審判決(敗訴)までを扱っていて、並行して愛媛県警の裏金事件も描いています。内容としては、開発者:金子(東出昌大)および愛媛県警の警官(吉岡秀隆)それぞれのドラマと、Winny自体が絡む法的解釈の二つの面に分けられますね。
ドラマについては、一連の出来事の細部をどれだけ忠実に再現しているか分かりませんが、人間ドラマとしては楽しめました。愛媛県警のエピソードもストーリーが単調になるのを上手く防いでいたと思います。エンタメとしては佳作ですね。
ただ、一審判決(敗訴)までというのが・・・(汗)これでは、尻切れトンボです。
(実際はこの後、二審(逆転勝訴)があり、最後は最高裁判決)
さらに、仰られるように、警察・検察が逮捕・起訴に踏み切った理由が明確でないのも気になります。(判例もなく法的解釈も難しいのに、公判維持が最優先の検察が何故起訴の判断をしたのか? 著作権侵害で業界からの圧力があったらしいことが仄めかされていますが、その辺りの深堀りが全然ないです。なぜ、業界に告発させなかったのか?)
Winny自体の問題については・・・
「殺人に使われたナイフを作った職人は逮捕されるのか?」という例えで、逮捕・起訴の不当性は自明であると述べられていますが、仰られるように、この例えは良くないですね。
『今は昔の石器時代、暴力沙汰が珍しくない国があった。ただし使うのは、せいぜい拳や棍棒。あるとき、鉄のナイフを発明した男がいて、調理が楽になると言ってその切れ味を喧伝し、希望する者たちに気前よく配った。
しばらくすると、治安がひどく悪化して、ナイフで刺された死者が増大。非難する人々に対し彼は反論。「刃が鋭いので気を付けないとケガをする、と注意喚起しているではないか」と・・・』
ポイントは、当時(今も?)ネット空間というのが新しい世界で、Winnyも新しい道具。その道具の利便性に気付いた人は多くいましたが、もっと深くその功罪の可能性を推測できる者は少なかった。Winnyの作者は、推測出来るだけの能力を持っていた一人だったはずなのに、実際の対応はどうだったのか?ということだと思います。
エンドロールの後で、作者本人が登場して、「この判決で、ソフト開発者はこれからは逮捕の危惧なく働ける」のように述べていますが、話しはそれほど単純ではないですね。
「無視できない人数が違法行為に使用する可能性を認識していればアウト」というのが最高裁の判断のようなので、無条件にソフト開発&頒布がOKではないです。(Winny作者はそれに当たらないとの判断ですが、裁判官5人で4対1と割れています)
例えば、技術的関心が動機で作っても、ウイルスや情報違法収集ボットなどに転用可能とか簡単に改造可能なものは、ヤバそうです(汗)
また、匿名性が有用だという主張が述べられます。いわゆる内部告発には必須なのだと。(愛媛県警内部告発もその線)しかし、その「匿名性」が現在では、ネット上での誹謗中傷の温床であり、フェイク情報・フェイクデータの発信を後押ししているとの懸念が議論されているのは周知の所。
(実際、Youtubeやツイッターなどでは、それを防止するために「検閲」がなされているようですし、性的画像拡散の根本的な規制が取り沙汰されています)
このように色々考えると、Winnyなど類似の一連のソフトは、ネット上のパンドラの箱を開けてしまった、ということなのだろうと思いますね。
P.S.:
エンドロール後に登場する、金子さんご本人と東出昌大演じる主人公:金子の印象が、私的には、ずいぶん違いました(汗)作品中のWinny作者は、本人よりずっとオタクで神経質で弱い人物に見えました。たぶん、本人自身よりカリカルチャーされた人間に演出する狙いだったのかなと感じました。
映画業界のような権利関係のガチガチな著作権の集合体のメディアで,著作権ほう助容疑での裁判「Winny」を映画として制作し上映するのは,いかにも逆説的でした.
酒匂P様の業界人としてのWinnyに対する批判的な御発言は,この件の闇の深さを物語っています.
Winnyは,P2P(Peer to Peer)という,個々人のPC同士で効率的にファイルを送信しあうプログラムです.近年では,暗号通貨のブロックチェーンにも同じ種類の技術が使われています.
それまでは,サーバ-クライアント型といって,提供元のサーバにコンテンツを蓄積し,クライアントであるユーザが
ダウンロードして使用していた.この場合,サーバの管理を厳格にすれば,違法コピーを防ぐことができた.
P2Pの場合,個々人のPCで受発信するので,管理ができない.
それを業界は問題とした.秩序の維持を目的として,国家権力が介入した.それがWinny裁判.
ホリエモンがYoutubeで語っていて,私もその通りだと思いましたが,
現在において,違法コピーが,Winnyで金子氏が逮捕起訴されたころに比べて,それほど騒ぎになっていないのは
Winnyで,金子氏が見せしめとして逮捕されたからではなく,Appleがレコードなどの著作権コンテンツを公式に安価に
配布するビジネスを普及させたからです.
人々は,危ない海賊版よりも,多少対価を払っても安価な公式版を買うことができるようになった.
当時の業界は,見せしめとして金子氏を逮捕するのではなく,(映画)業界のかかえるコンテンツを
安価に,結果として業界全体として高い価値をもってエンドユーザに届けることを進めるべきであった.
なんらかの行政(検察含む)からの保護を受けた業界はいずれ滅びる.映画業界の人にはその自覚を求めたい.
現在もAmazon,Youtubeなど,その他のビデオオンデマンドビジネスは,
CDN(Contents Deliverly Network)で,巨大なデータセンターを複数設置されて行われているが,
これはPCリソースの浪費です.IOT(Internet Of Things)がますます増える中,維持にはますます膨大な投資が必要になる.
分散処理のエッジコンピューティングの必要性,P2Pの可能性は今後ますます高まっていく.
金子氏の裁判と無罪確定後の死は,誠に国家の損失でした.
この映画で,そのことを少しでも多くの人が認識するようになれば,少しは金子氏の供養になるでしょう.
色々あったけど 東出さんいい役者ですね
『Winny』は、映画館で見て初めて「映画泥棒」のクリップが本編と繋がって見ることができた映画でした。なんなら、映画終了後にもう一回やってもよかったんじゃないかとさえ思いました。映画をハシゴしたときに見るとイライラすると言われる「映画泥棒」は、実は劇場のコンディションを知るためのツールとして有効です。スクリーンの明るさやコントラスト、(スローモーションのカットは)解像度感がわかります。
私は、金子さんは本当にわかってなかったんだと思いますね。ある意味、あるところには優れてるけど、それがどういう負の影響をうえるかまで想像できないある意味ハンデのある人なんじゃないのかなと思いました。ギフテッドなんじゃないですかね。
愛知県警のくだりはwinnyの「善用例」としてだしたんでしょうが、正直かったるかったですね。あんなに時間をとってやる必要はなかったかと。あと正直言ってあの場面の吉岡秀隆さんの演技が……微妙というか、くさかったというか……全体としては面白く見ましたが。
感想としては、私も竹内さんに近いです。この映画で何を訴えたかったのか、少しぼやけていたと思いました。愛媛県警の話も、新聞記事だけでよかったのではと。
エンタメ映画に振ったきらいがありますね。
ただ、社会的な題材の映画の「新聞記者」や「Fukushima50」でも、邦画では仮名が多い中、実名での映画には評価したいです。
この事件を知って、日本が今話題のブロックチェーン技術やNFT開発のさきがけとなれた機会をつぶされていたことに憤りを感じた。
現在、日本企業は事業規模ではGAFAMにまるで歯が立たず、デジタル技術で日本は中国や韓国、台湾といったアジア勢にも大きく水を開けられてしまった。
その発端は、このwinny事件にあったのではなかろうか。
この映画で言いたかったことは、日本社会の事なかれ主義や異端な者を排除しようとする空気への批判なのではないだろうか。
愛媛県警の内部資料がwinnyで流出することで、本筋の物語とつながったが、異端な者(金子氏・仙波氏)が多少なりとも報われた瞬間でもあった。
ただし、裁判は負け、仙波氏にも脅迫電話がかかってきたことで、現実は「出る杭は打たれる」社会であることを改めて示したように感じた。
日本社会の事なかれ主義や異端な者を排除しようとする空気は、愛知県警の物語を挟むことで強調されていたように思う。
「検察側が裁判を起こした意図が描かれていない」とのお話がありましたが、弁護士たちも映画製作者たちも結局わからなかったのだと思います。
登場人物に実名を使わせてもらっているため、映画製作者たちのむやみな憶測を語ることは控えたのだと思います。
ただ、映画の中で語られていた「トカゲのしっぽ切り」が愛知県警の事件であれば、警察にとってもっと大きな知られたくない闇があり、少しでもそれを匂わせたかったのではないでしょうか。
私はこの事件によって、日本経済の成長を止められてしまったことを残念に思う。
そして、この映画によって、日本社会にも異端な者を受け入れる寛容さが広がってほしいと願う。
渋川清彦さんと柄本明さんは最近の映画に大体出てるんじゃないかってくらい出まくっていますね
俳優のお仕事が楽しくて、楽しくて仕方ないモードなのでしょうか?
渋川清彦さんが若い頃のちょっと面白い系?のモデルからこんなに本格的な俳優さんになるとは思ってもいませんでした
これは良かったです。
自分もプログラム関係の仕事をしているので、金子勇のプログラムに対する思いは凄く心に刺さりました。もし彼が今でも健在していたなら、ネットによる誹謗中傷などによる被害は減っていたかもしれないと感じました。
あと東出さんは凄いです。冒頭から「東出さんはどこ?」と思えるくらい金子勇さんでした。三浦さんも本当に良かった。裁判シーンの吹越さんも素晴らしかった。出演者の演技だけでも観る価値がありますね。
竹内さんが仰った警察が訴えた理由というのは自分も気になってました。せめてエンドロール前のテロップでもいいから取り上げて欲しかったです。
こんばんは。今日、レイトショーで見てきました。私、仕事が同業なので、プログラマーとしての金子さんのストーリーと、Winnyを使ったことがある、そして業界で規制されていった流れを目の当たりに目撃した者として、楽しく見ました。私自身は、金子さんは著作権を犯すことになることを知っていたかどうかについては、私はグレーだと思います。ただ、なんにせよ、ああいうプログラムを考えつく、作ることができる人はその辺にはいないということも言えると思います。それにしても東出さんはハマり役でしたね。三浦さんも上手いと思いました。それと、最近あまりタバコのシーンがない作品が多い中、吹越さんのタバコが印象に残りました。吹越さんのタバコ、つい闘病中の広田レオナさんを連想してしまって。
観てきました!
金子さんが憎めなくて応援したくなるキャラクターですね😊
東出さんと三浦さんが出色の演技でした💪裁判官役の人って役者ですか😅いい味出してましたね✌
私はなぜ警察検察がこの件を立件したのかの動機はは、観客が考えるべきこととして秋田弁護士から観客に投げかけられた台詞だと思いました。
映画「Winny」は評判が良かったので見ましたがとても良かったです。開発者を潰す日本は経済成長しないなと。30代というプログラム開発者にとって乗りに乗っている7年を潰したという間違った行為を検察、警察の間違った正義のせいでWinnyの開発者が今後もたらす経済的利益を考えると検察や警察のような税金で生活して何かを生み出したりお金を稼いだりしない人達に権力を与え続けたら日本が潰れそうと思いました。心労で最高裁判決後、1年半で4んだと映画館で知って驚きました。経済成長しない日本は開発者を大事にしないといけない事をあの映画を見て多くの人が考えて欲しいです。
映画関係者もwinny開発者に怒るのではなく法整備をしない国に対して怒るべきかと。制裁を与えたかったら刑事ではなく民事で損害賠償請求を映画関係者など被害者である人達から複数訴えさせればいいのであって、有罪にできない案件を刑事で見せしめはもはや法治国家ではないと思いました。有罪にした一審の地裁も大問題だと思いました。
愛媛?県警の話をクローズアップするより、被害を受けた映画関係者の話や告訴した警察の思惑や検察の裁判対策の裏側を対立軸として描いた方が良かったかも。それが難しいなら「何で刑事で訴えて、何で地裁で有罪になったのか?検察から働きかけがあったのか。結果的に最高裁で負けて、検察側はその後、制裁人事があったのか」など映画の最後に実際のWinny開発者の弁護団や検察関係者からの後日談的なコメントがあったらもっと良かったです。
Winny開発者を刑事で訴えるという暴挙は、日本の経済的発展を考えると裁判所、警察、検察は開発者を潰して日本を潰したいのかと思いました。やり方も法治国家無視で、もしWinny開発者に牽制するなら、彼は東大に勤めていたのだから、まず、東大に圧力をかけて本人にWinnyを悪用した利用者の情報提供できるようにプログラムを変更させて情報提供させるとか、消費者庁が本人に行政指導するとか本人が政府に協力させる方法は沢山あったと思います。
その一方でWinnyの被害にあった映画関係者や企業に働きかけて民事訴訟を連発させるとか、民事裁判や行政指導で本人を牽制する事ができるのにも関わらず、自分が頭がいいと思っているお金を稼いだ事がない検察、警察、裁判官の人たちが法治国家を無視するのが最悪だと思いました。これでは日本は貧しくなるだけです。
法治国家を無視して有罪にできない人を刑事でリンチ裁判をするぐらいなら、プロバイダー業者に働き掛けてWinnyをアップしたらそれをすぐ消させるように行政指導するとか、Winnyにアクセスした人の情報を政府に情報提供させるとか、国会に働きかけてWinnyを使って違法行為をしたら罰金刑を高くするとか、名前を公表する法律を作るとか、利用者に対する警告はできたと思います。
政府や国会、検察、警察の不作為をWinny開発者に押し付けるようなリンチ裁判は本当に大問題だと思いました。
京都府警からWinny使用でantinnyによる情報流出事件があったから逮捕されたのでは・・・と当時2chでは言われてましたね 愛媛県警裏金と同じように
ウィニー使ったことありますけど数分で、無料でコンテンツが手に入るのは悪魔の魔法のようでした。それが今ではYoutubeで一瞬で見たり聞いたりできてもはやファイルを手元に置いておく必要もなくなった。当時を思うと感慨深い。
「猫だまし」
「捜査関係者によると」とメディアはいまだにやっている。(違反行為)
情報操作のようなことがいまだに行われていことへの恐怖を感じてしまう。
Z80・8080世代の私は「松本サリ〇」取材のことを常に思い出す。
今では天下のyoutubuも最初は同じだった訳ですよね・・日本は外国に弱い
警察で書類書いた事ありますが、本当に警官が例文書いてそれを写すようなやり方でしたよ。
この映画みたいに悪意がある訳ではなく、手短にするためですけどね。
でも、おかしい事はおかしいとその場で言わないと、この映画みたいになる可能性ありますよね。
シネマサロンの本作レビューを見て、遅ればせながら、先日、本作を鑑賞しました。
結果、大変良くできた映画という感想を持ちました。開発者を演じる東出さんは好きな役者では決してないのですが、今回は小太り感を含め、好人物像をうまく作り上げていることに感心しました。お2人のおっしゃるとおりです。また、tsutomu kusakaさんのコメントにあるように、私も国家権力云々を語ろうとしたものではないと思います。これは、竹内さんのいう地平に関わる問題なのでしょうか。本作の出来とは別のこととして、前半の弁護戦略戦術については正直なところ、どうかと思います。捜査の意図がなんだかんだという陰謀論や反対尋問の技術の巧拙はその後まともに回収されないことからしても泥舟でしかなく、竹内さんの疑問についても、捜査起訴の意図を含む陰謀論が実体にそぐわないので答えが伴わなかっただけのことと解釈できます。逆に、後半で壇弁護士を演じる三浦さんが開発者の素の姿を引き出すところや2人が心を通わせるところが本作の要であり、本作の良いところと思います。容易でないことは重々承知していますが、願わくば、実際の事件において当初からそれを基に弁護方針を立てて弁護の王道を歩むことができたならばと夢想しています。
法の問題については、前提が不確かなままに、雑多な感想が語られるので、本作の客観的な内容、特に基になった事件や裁判の実際から、知らず知らずのうちに外れていってしまうように感じます。ただ、法律専門的な説明を長々としても的外れと思われるでしょうから、できるだけ長くにならないように、ポイントを絞ってお話ししたいと思います。少々ご辛抱ください。
まず、酒匂さんの、「立て付け」が悪かった、「未必の故意」を問題とすればよかったというお考えについて
本作では(基の事件においても)、著作権法違反幇助(行為)が審判対象となっています。正犯者(本犯者ともいいます。)2名が著作権法違反をしたことに争いはありません。著作権法違反の幇助行為も罪を問われる犯罪行為ですので、故意責任の原則から、幇助者にも(幇助の)故意がなければならず、故意は幇助行為の要素となります。要素である故意がなければ幇助行為とならず、犯罪にはなりません。そして、未必の故意は、確定的故意と並ぶ故意の一種で、「…かもしれないが、それでも仕方がない」という「認容」(認識だけでは足りず、仕方がないと結果を認容する意味です。)という主観的状態を表します。
未必の故意は、認識ある過失と隣接する法律概念で、過失ではないことに意味があります。例を挙げれば、人混みの中を自動車で高速運転して人をはねた場合、一見して故意があると言えそうですが、実は、結果的に人をはねてはいても、行為者がこの程度の人混みならば人をはねない運転技術があったといえるならば過失という余地があり、これを認識のある過失として故意、特に未必の故意とは区別されます。この区別は、場合によって極めて微妙です。
そして、法律家にとって未必の故意は犯罪を論ずる上での基本中の基本であり、地裁、高裁及び最高裁の三審において、未必の故意の問題点を踏まえて審理判決されており、後述のとおり、その視点や問題点の検討が抜け落ちていたということはありません。(続く)
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投稿に再度シネマサロンのレビューを視聴して気が付いたことですが、お2人は前提を勘違いをされていると思います。酒匂さんがいう「立て付け」は悪いどころか、未必の故意の成否が真正面から問題とされ、「立て付け」には問題がありません。むしろ、著作権法及び刑法、特に幇助行為の無限定性と未必の故意の無限性性の2つの無限定性が掛け合さると、相当広い範囲に法の網が掛けられることになり、法理論上、一旦起訴されると無罪となる余地が乏しく、そのまま有罪(起訴されれば、どんなに情状が良くても、執行猶予付き有罪にしか法制度上ありえません。)となってしまうことが理解されていないように思います(これは、人質司法だから99%有罪とかいう裁判制度の問題ではなく、法律(の定め方)自体の問題です。)。基の事件が結果的に無罪になったので、今となっては無罪の人を捜査起訴したのはけしからん、何故そんな愚かなことをしたのか、陰謀があったはずだ、黒幕は誰か、などとなってしまうのですが、当時の法解釈上、情状酌量すべきものが最上級にあったと仮定しても、基の事件は有罪ターゲットの中央部分に位置していて、有罪獲得は容易と考えられたはずです(むしろ、警察検察は「義を見てせざるは勇無きなり亅と考えて捜査起訴を断行したとも言えるのです、まさに愛媛県警巡査部長役の吉岡さんのようにです。コメントの中には吉岡さんのエピソードが理解できない旨が少なくないようですが、全く同感できません。)。著作権法違反に限らず、これまで罪にならないと思っておられる違反の多くは、日本の検察が起訴裁量を謙抑的に行使して自制的に振る舞ってることと関係します。特に、日本には起訴便宜主義という制度があって、犯罪の嫌疑があり起訴すれば有罪となるはずの違反について、情状酌量して起訴を猶予する裁量を検察官に認めた制度です。検察がこれをかなり柔軟に行使してきた結果、起訴猶予となった行為、さらには起訴猶予が見込まれる行為を無罪、罪にはならない行為と誤解されているのではないかと思います。弁護士も、起訴前に起訴猶予に持ち込むために示談等の情状活動を行うことが多いです。ただ、最近の検察は、昔のように鷹揚に構えるのではなく、欧米の影響か、力を誇示しがちな態度に変わってきているように思います。本作の著作権法違反幇助については、検察が重大事件であって見過ごせないと考え、かつ有罪にするのは容易と考えて公判請求(起訴)したことは拙速といえても、理解できないほど不思議なことではありません。起訴が権限濫用で違法というのは難しいです。
ところで、「幇助って何?」と女性が問うシーンがあり、そんなことも分からない人が会議をやっているのか、心配であるという意見が出て賛同を得ていました。会議か雑談か不明ですが、確かに、そう見えるシーンかもしれません。ただ、その女性は机を並べてはいますが、私にはその行動からみて法律事務所の事務員さんに見え、会議の?正式なメンバーではないように見えました。ことさらその無知を問題にしなくてよいように思います。それよりも、幇助は「助ける」という意味であると猿時さんは説明しましたが、そもそもネット上の不特定多数人に向けてソフトを使える状態に置くという行為が「助ける」という言葉の意味内容に含まれるのかに根本的な疑問があり、「幇助って何?」は、本件における、出発点であり、本質を問う質問でもあったと思います。この点に関する攻防が二審、三審で行われて無罪に至ることは後述のとおりです。少なくとも(一審を描く)本作の中では、この点に関する議論が突き詰められていないことに物足りなさを感じます。映画に描かれてないだけと考えたいのですが。それにつけても、この種事件において、陰謀論などは所詮出口のない泥舟であって、少なくとも、真に逸材と言えるはずの開発者の無罪獲得のために相応しい弁護の仕方とは私には思えないのです。王道を歩んで関係者の多くから好意的評価を得なければ目的が叶うとは思えません。(続く)
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竹内さんの、有罪無罪に関係なく開発者を裁判に巻き込んで時間を浪費させるために捜査起訴したというお考えについて 本作の中でも少々戯画化して描かれていますが、当時の、すなわち約10ないし15年前の、ネットの実際をご存じないのか、あるいは忘れてしまわれたのかと、いぶかしく思います。例えば、現時点は分かりませんが、最近までずっと官公庁のセキュリティのセルフチェックの重要項目として自己の端末につき「ファイル共有ソフト」のインストールの有無が問われてきました。それくらい当時は、「ファイル共有ソフト」による著作権侵害が広まり深刻化したと認識されていただけでなく、官公庁を含む各種団体からの情報漏洩も著しく、一部に開発者を礼賛する者はいたとしても、「ファイル共有ソフト」の危険性はほぼ社会常識であって、反論し難い状況だったと私は記憶しています。利用者が無頓着に「ファイル共有ソフト」を使いたいと欲することはあっても、「ファイル共有ソフト」の正当性を正面からきちんと論じることができる人が多くいたとは思われません。立ち小便、煙草のポイ捨て、未成年者の飲酒喫煙の如く、悪いことは承知しているけどお目こぼしして欲しいという感じだったような記憶です。このような状況下において、一審裁判所(地裁)は、本心はどうであれ、未必の故意を認めて有罪判決(罰金刑)をしました。二審裁判所(高裁)は無理な工夫(犯罪成立のためには未必の故意があるだけでは足りず、もっと強い意思が必要であって、本件ではそれがないから無罪という独自の理屈)をして幇助行為を否定し、無罪判決をしたと理解しています。三審裁判所(最高裁)がその無理な理屈を修正し、開発者には未必の故意がないとして幇助行為を否定し、無罪の結論自体は維持しました(もっとも、無罪は多数意見であり、これとは別に、有罪の少数意見(この少数意見は、捜査起訴が配慮に欠け性急に過ぎたと開発者に好意的な評価もしています。)があり、最高裁の意見は分かれました。)。つまり相当微妙な事件だったということです。ただ、多数決とはいえ最高裁が結論を示したことにより、現在であれば、無理な工夫をしなくても法律家であれば普通に無罪判決にたどり着くことができるだろうと思います。しかしながら、当時は無理な工夫をしなければ無罪判決を導くことが難しかったのです。その意味では、無理な工夫までして具体的な妥当性を追求した二審裁判所が偉かった、10年先を見通す力があった、といえるかもしれません。本作において、社会常識的な風潮に対して真実を主張してどこまで抗うことができるのか、が問われているのであって、凡人は10年後の正解(真実と思っていることが本当に真実か)を知りようもなく、当時の人々の行動や判断を愚かであったと笑うことは難しいのです。もちろん、私も凡人で、正直、自分が正しい行動や判断ができるなどと偉そうなこと言う資格も自信もありません。
プログラミングの専門家ではないので、聞きかじりですが、「ファイル共有ソフト」のP2Pの技術はブロックチェーン、暗号資産(仮想通貨)に応用されるもので、本作(の基の事件)のせいで、日本国内の技術者はこの分野から手を引いたため、日本は国際競争に敗れてしまったと言われているようです。しかし、それは今だから一般人にも分かること、今だから一般人にも言えることです。
勇み足だった、間違いだったとしても、当時のサイバー警察も検察も有罪と考え、社会正義に叶うと考えて捜査起訴したことに疑いがあるなどとは私には思えません。もっとも、京都府警サイバー警察は、組織も個々の構成員も自己の存在意義を示すために気を吐いていたことに不思議はなく(功を焦ったといえるかもしれません。)、普通にあり得ることでしょう(当時、著作権者や制作者側の意向をそのまま体現していたはずですし、今もそのはずです。酒匂さんも、サイバー警察からの連絡のエピソードを紹介されていましたので、もっと話を掘り下げられるのかと期待しながら聞いていましたが、特段掘り下げはなく終わりました。)。また、より一般的に検察庁、とりわけ特捜部が誤りを犯すのも自己の社会正義を過信しがちなことに原因があるのでしょう。
tsutomu kusakaさんのコメントには、本作が「浅い」作品であるとの評がありました。確かに、そうかもしれないとも思います。エンタメからくる制限はあるはずです(エンドロール後の開発者インタビューを見ると、映画の中の開発者はよりマイルドに描かれていそうです。)。くどくど考察したり説明したりするべきではないのかもしれません。思いのほか大変長くなってしまいました。お詫びします。
なお、開発者が、無罪確定後ほどなくして、亡くなられた旨の新聞記事を読んで、悲しい気持ちになったことが思い出されます。開発者のご冥福をお祈りしたいと思います。以上