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今日の話題は
【日本史の謎】信長から信頼された武将たちの残念すぎる最期5選! をお届けします。
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https://www.youtube.com/watch?v=-xZQ9Rio43g
#日本史の謎 #歴史
13 comments
甘寧一番乗り!
丹羽長秀は亡くなったあと、息子の代になった途端、秀吉はその100万石の所領を没収しちゃうんだよなぁ
ひでぇよ
武田旧領地を任された滝川一益、川尻秀隆、森長可、毛利長秀はいずれも尾張時代から織田家を支えた歴戦の武者(長可は若いが血筋、能力共に有能)であったが、住んだことも行ったこともない山々を戦乱期に統治するのは流石に厳しかった。
河尻秀隆はあまり知名度がないですね。実際は有能で信忠政権の為に側近としてつけた。他に有名人だらけですし。武田滅亡からすぐの為飲み込まれた非運の武将。部下も甲斐各地に散っていただろうし、混乱をチャンスととらえ、敵討ちのターゲットになった、と推測されます。
佐久間氏は新時代のリーダーに順応出来なかった。詰問て気になったのは、金を貯め込み、人材獲得・武器装備をケチっていた点です。明智・秀吉は土台がないので家臣団には積極的です。ただ古参の武将を改易ではなく放り出した為、家臣団に動揺は生まれた模様。惠瓊の手紙で家臣団に不協和音がはびこり内紛を予感しています。
光秀に関しては謀叛以外は大分評価が変わってきてます。領地での評判は越前時代・近江坂本でも伝承ですが良いです。祀る祠も静かに佇んでいます。奥さんの『煕子「お槙の方
〕』を持ち上げる伝承も割りと早い時期に語られている。私か一番印象に残っているのは、一揆勢の闘いで亡くなった兵士12人の為の供養米を寺に収めた記録です。身分に関係なく同じにして。側室を持たず、家臣・領民・領国経営に真面目に取り組んた姿が浮かびます。フロイスは酷評していますが、妬み・裏切り者キリスト教への優遇がなかった為と考えてます。
面白い企画でした。いろんな意見・見解が集まることを楽しみにしてます。
信長が弟信行を謀殺した時の実行犯が河尻秀隆
森長可、池田恒興も本能寺後を生き延びることはできたものの、小牧の戦いで徳川に討ち取られ。
しかも息子たちは(家を存続させるためとはいえ)親の仇の徳川に尻尾ふるし、不憫極まりない。
織田家臣団
柴田勝家
滝川一益
明智光秀
羽柴秀吉
丹羽長秀
池田恒興
佐々成政
前田利家
佐久間盛政
森長可
堀秀政
【織田家臣団】
柴田勝家→賤ヶ岳の戦いで自害
滝川一益→小牧長久手の戦いで追放
明智光秀→山崎の戦いで自害
丹羽長秀→改易
池田恒興→討死
森長可→討死
佐々成政→改易・切腹
佐久間盛政→賤ヶ岳の戦いで自害
佐久間は仕方ない。
三方ヶ原で信長が唯一負い目のある平手の爺の嫡流を見殺し。
皆が居る前で信長に面と向かって反論。
信長包囲網で一番苦しかった時期に信頼を裏切られたから信長に嫌われ始めたのだろう。
対本願寺は結果が出せなかっただけでなく、やっても無駄と頑張ってますアピールもせず信長に相談もせず可愛げがないので更に嫌われた。
要はワンマン社長に噛みつく最近結果を出さない給料泥棒専務…そりゃ切られるわな
池田恒興はある意味自業自得だ
ある意味で一番悲惨な最期を遂げたのは前田利家じゃないのかなぁ。織田家臣団の一人であり、秀吉の親友であったから晩年は家康や反三成軍団と三成の間に入りつつ時に家康が秀頼に圧力をかけないように家康を警戒していたから。
こんばんわお疲れ様です‼️
自分も、本能寺の変は明智が悪いと思ってましたがやっぱり多分朝廷や幕府が黒幕で明智はハメラレタッテお持ちます。
この河尻秀隆への一揆が、後のファミコンソフト『いっき』へと繋がったのは感慨深い。
しらんけど…