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1988年6月20日、ニッポン放送のHITACHI FAN! FUN! TODAYに尾崎豊がゲスト出演した回の音源です。
ご参考までに尾崎がこの番組出演に至った背景や当時の個人的な想いについて記しておきたいと思います(※ダラダラ長いので別に読まなくていいですよ)。
まだ高校在学中にセンセーショナルなデビューを果たし、10代でオリジナルアルバム3枚をリリースしヒットさせた尾崎でしたが、20歳になった後の1986年1月のLIVEをもって無期限の活動休止に入ってしまいます。
その後、ニューヨークでの生活を経て1987年7月にLIVEツアーをスタートし、活動再開。同年8月の有明コロシアムLIVEは私も観に行くことができました。しかし翌月9月に体調悪化でツアーは中止に。12月には覚醒剤取締法違反で逮捕されてしまいます。当然、活動は再び休止に。
約半年間の謹慎期間を経て翌年1988年6月21日に復帰シングル「太陽の破片」をリリース。そのプロモーションの一環として出演したのがこの6月20日の【FAN! FUN! TODAY】、そして6月22日の【夜のヒットスタジオ】だったのです。ちなみに【夜のヒットスタジオ】は彼の最初で最後のテレビの生番組出演でした。同年9月には4枚目のアルバム「街路樹」をリリース、そして東京ドームでの復活LIVEへと繋がってゆくのでした。
当時、かなりの尾崎ファンでもあった私はこの尾崎の逮捕→謹慎→復帰までの一連の流れを複雑な想いで見守っていました。時に思春期の心の拠り所でもあったはずの尾崎の存在でしたが、麻薬所持での逮捕によって勝手に裏切られたような気持ちになり幻滅してしまったのです。半年程で復帰したことにも違和感を覚えたものでした。このFAN! FUN! TODAYへの出演も当時は諸手を挙げて「尾崎おかえり!よく帰ってきた!」という気持ちで聴いていなかったことは確かです。大好きだったから故の愛憎表裏一体となったこの感情を一時的に尾崎に対して持ってしまったことを今もよく覚えています。
この当時は私もまだ10代。今よりもうんと視野も狭く、彼を取り巻く様々な背景にも理解が足らなかったのだと自分自身でも思います。ファンの間でも様々な想いが渦巻いていたのでしょうが、私たちはたった1つしかない彼の背中にあまりにも大きなプレッシャーを掛け続けてしまっていたのかもしれません。
その後、私は再び尾崎の音楽を愛するようになりましたが、この年から4年後の1992年4月25日に尾崎は26歳で逝去。この時のショックを言葉で表せることはできません。あまりにも突然すぎるお別れでしたね・・・。
話は戻りますが、このFAN! FUN! TODAYの尾崎ゲスト出演。
それまでもTVやラジオといったメディアへの露出はほぼ皆無でしたし、LIVEのMCでもいわゆる「尾崎豊像」そのままの口調が常であった尾崎だったので、こんなにも穏やかな素の喋り方で話す彼の声が聴けたことには大変驚いたものでした。復帰に向けての想いを熱く語る尾崎、そして自身の音楽ルーツやアルバイト時代の経験を楽しそうに振り返る尾崎。その等身大の尾崎豊をパーソナリティの上柳昌彦さんが短い時間の中で見事に引き出してくれた、番組史上に残る神回だったと今は思います。上柳さんに心から感謝です。
そして・・・カセットに録音して残しておいてホントに良かったと思います😌
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※尾崎豊に敬称を付けるのは、らしくありません。最大限のリスペクトを込めて昔も今も呼び方は「尾崎」です。
#尾崎豊 #fanfuntoday #上柳昌彦